父親に助けてもらったこと 母親 学校

僕は、父に、本当にいろいろなことから、助けてもらいました

学校から、母親から、多くの不安から、助けてもらって、生きてこれました

学校には、僕が行けなくなったときに、直接話をしに行ってくれたり、僕に、不登校でも大丈夫ということを書いたわかりやすい本を渡してくれたり、不登校について調べて、毎日話をしてくれて、僕は、不登校の罪悪感などから、すごく助けてもらいました

僕が外に出られるようになったのは、都会に引っ越してもらって、周りに知っている人が誰もいなくなったから、というのもありますが、僕は最初、引っ越してきても、すぐには外に出ることができませんでした

父に、スーパーの買い物に連れて行ってもらったり、そこで人が多い場所での動き方や、立ち位置を教えてもらったり、運動することを勧めてもらったりして、自信を持ってコンビニに一人で買い物に行ったりなどが、2年前、やっとできるようになりました

母親のことは、ずっと、いつも父に相手をしてもらっていて、僕が話したくないというだけで、母親が起こした調停に、ずっと話しに行ってもらっていたり、母親から来るライン、手紙の返信を考えてもらったり、僕が本来母親に対してする悩み、負担をほとんど背負ってくれました
母親との調停に使うために弁護士を雇うなら、そのお金でやりたいことをやらせてあげたいと言って、僕に当時14万円ほどのパソコンも買ってもらいました

父に一番助けられたのは、母親との関係です

本当に顔も見たくない、話したくもない、ずっと怖かった母親に一人で会って、もう僕のほうが身長も高いこと、怖くないことを知れて、4年ぶりに弟と直接話せました

今、弟と一緒に暮らせているのは、間違いなく父親のおかげです

去年の2月に会いに行ったけど、会いに行くまでに、3ヶ月くらい母親とLINEでやりとりしていて、何度かキャンセルを繰り返したんですが、一回目、飛行機のチケットを取った時、父は、一緒に泣いてくれました

母親の家に10日間滞在して、僕がしっかり母親に嫌いであるという気持ちを言えなかったときには、父に文章で叱ってもらい、僕は母親と話して、夏休みに弟たちをこっちに遊びにこさせることもできました

弟がこっちに遊びに来たんですが、母親がこっちにきて帰るまでの時間を5日間しかとっていなく、なにか特別が遊びもできなかったので、弟たちが帰りたくないと言い、本人たちが母親に電話して伝えて、父からも連絡しました

そしたら母親は、2日後警察を呼んだり、その後弟たちを母親に引き渡す調停を起こしたんですが、その時も父は弁護士を使わず、裁判所に書類を作って持っていったり、いつも話をしにいったりしてくれていました

最終的には強制執行手続きをされそうになったのですが、僕と弟が必死に電話や文字で対抗して、調停自体をやめさせることに成功しました

その時も、父に毎日話をしてもらい、強制執行をされるとどうなるのか、判例、成功確率、裁判所でどんな話をしているのか、母親に対してどんなふうに言ったらいいのか、ホワイトボードを使って話してもらいました

父のホワイトボードを使った説明はいつもわかりやすく、母親や社会、親子関係の大切さ、お金、学校のことは本当にたくさん話してもらいました

父には、物凄く助けてもらっています

今回、ざっくりとしか書けていないと思いますが、今後、もっと詳しく母親、学校、不登校の話をどんどん書いていきます

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


上部へスクロール