作りたいものが、無い

本当に無いのか

動画編集とか、3dソフトとか、プログラミングとか、勉強してても「僕、別に作りたいもの無いな」と思った瞬間に全部どうでもよくなって諦めたりしてたんだけど、なんか、そういうことじゃない気がしてきた。

勉強って言っても、基本操作を覚えて、そこからちょっと学んだくらいだと思うから、勉強してるとも言えない気がする。

毎日一個なにか作ってみる、とかすれば続けられるのかなとも思った。最近の僕は、時間制限があればめちゃくちゃギリギリになるまで悩んで、実際にやって達成できるか、普通に諦めて飛ぶか、のどっちかだから、1日一個というのは結構いいと思う。友達でやってるやついた気がするし。思い出した。知り合いでもなかった。ツイッターで見ただけの人だ

でも僕はギリギリまでやらないから、時間制限をもっと短くしたほうがいい気もする。1時間とか、30分とか、動画、どうでもいいゲームを一つ作ってみる、とかならそういう方がいいと思う。

ギリギリまでやらないけど、制限時間と実際にやらないといけない時間が同じなら、僕はできる。多分。毎日三記事とか、ほぼそれだと思う。ちょっと違うけど、これが5記事なら僕は相当辛かったと思う。

昔、友達に動画編集を頼まれたことがあったけど、日付も言われなかったし、3年くらい動画ファイルを放置している。僕はその時から今までずっと僕のことを「約束の守れない人間」だと思っている。

最近、ADHDの人が待ち合わせに全然来ないとか、約束を守れないみたいなことを言ってたりするけど、多分ADHDは完全に忘れてしまって、全く思い出せないんだと思う。けど、僕は違う。覚えているけど、できない。

書いてて思うけど、これ、ただのダメな人じゃないですか?自分でもわかってるんだけど、ずっと治せてないんですよね。

なにかを頼まれて、その納品の期間を守れないことはあるけど、◯時からゲームやろう!みたいなのは、僕は遅れたこと無いと思う。僕より、一緒に遊んでた本物のADHDみたいなやつが、やると言ってたのに「ちょっと俺、布団行ってくるわ」とか言って寝てたりしてた。

記憶が無いだけで僕も集合しなかった事とかあったら怖いな。毎日何か作って、上手く使えるようになったら、作りたいもの出てくるのかな。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


上部へスクロール